プロジェクトの思想

プロジェクトの思想

「最近の世界情勢」で明らかにしたように、人類は激烈な自然の脅威の前に、連帯してこれに立ち向かう必要があり、そのためには戦争放棄が不可欠である。

しかし、戦争は常に何らかの名目があるから行われるのであって、事はそう簡単でない。その中にあって、いかなる名目があろうとも戦争は絶対してはならないのだということを最も説得力をもって主張できるのは、実は戦争を始めて敗れた体験を持つ国ではないだろうか。

近代日本がかつて東アジアを舞台に展開した対外活動は、すべてそれなりの理由、名目があった。しかし、ひるがえって被害を受けた外国の民衆の立場に立つと、そのような名目など全く意味をなさないことがわかる。問題は戦争や植民政策の内容をなし、またはそれに付随して行われる「個々の行動」であって、その被害を受けた民衆や遺族の心情に思いを致すとき、心ある日本国民は居ても立ってもいられず、胸の痛む想いを禁ずることができない。

近代日本はこのようにして他国に甚大な損害を与え、自らも大きく傷ついて国を滅ぼした。戦後日本は過去の反省の上に立ち、戦争放棄を憲法の中に明言して、平和国家としてその後の歴史を歩んできた。そのような経緯を自ら見聞してこられたのが、85歳以上の長老の方々である。

今回、日本の長老たちがコロナ問題を契機として改めて「戦争の放棄」を世界に向けて訴えたいと考えるについては、あの過去を直視した上でなければ未来を共に語ることができないという深い想いがあったと思う。だからこそ、まずもって、当時日本が戦争を現に行い、占領をし、植民地にした東アジアを戦争の無い地域にしたいとの提言に至ったのであろう。「過去に起こした過ちを再び繰り返さないようにしよう」との切実な訴えは、自国はもちろん、まずもって当時の被害国に向けられた上で、世界に広めるという順序になる。

顧みれば、帝国主義戦争と言われた第一次世界大戦が終了した直後、国際連盟という世界組織が作られ、1928年にはいわゆる「不戦条約」(正式には「戦争放棄に関する条約」)が締結された。その主な動機がこれまでにない激甚な戦争被害にあったことは言うまでもないが、今にして思えば、1918, 9年にヨーロッパの戦場をはじめ世界中に流行し、少なくとも世界人口の四分の一が感染、死者二千万から四千万人に及んだと言われるいわゆる「スペイン風邪」も、その背景をなしていたのではないかと推察される。

この不戦条約は、第二次世界大戦終了直前に制定された国際連合憲章にほとんどそのままの形で引き継がれた。さらにベトナム戦争終了後の1976年にアセアン諸国のイニシアティブでもって締結された「東南アジア友好協力条約」は、類似の条文を含んでおり、日本、中国、韓国、北朝鮮などのアジア諸国はもちろん、アメリカ、ロシアなどの世界主要国も批准するに至っている。

今や人類はこのような先人たちの努力を継承し、コロナ禍という不幸を転じて、「戦争放棄」という人類最高の目標を実現するきっかけにしたいと心から願うものである。しかしその方法は難しい。長老の方々は、上記のような、効果のある方法を考案されたのであった。

【参考】

背景にある対立超克の理論

西原春夫 (2020年8月)


「超克」の理論
戦争の原因には、何らかの「対立」が潜んでいる。したがってその対立をどうやって戦争につなげないようにするかが最大の問題であると思われる。
しかし、対立はそう簡単に解消できるものではない。とくに対立が険しくなって感情的な段階まで至った時、解決は絶望的になる。その場合どうするか。
言葉で言えば、対立は「解決」できなくても「超克」は可能だということである。2という数字と3という数字は未来永劫対立を続ける。これを融和させるためには、2+3=5 あるいは2x3=6という「共通分母」を設定してそこに収めるしかない。「共通の利益」が見つかれば最も効果的である。
例えば現在国と国、宗教の宗派同士が対立している現実がある。その多くは民族的宗教的な心情や長い歴史を背景としているから、その次元では簡単に解決することは難しい。
しかし理論的には、それらの場合でも、共通利益が見出されれば手が握れる可能性がある。例えば宇宙人が攻めてくることが確実になれば、争いなどしていられないだろう。見方次第では、人類は現在すでにそれに匹敵する脅威にさらされているとも言える。このたびの新型コロナウイルス感染症の世界的流行という不幸も、それの遠因になっているかもしれない地球温暖化の猛威も、「矛を収めよ」という天意と受け取るべきではなかろうか。

新安全保障論
 戦争防止のために安全保障政策が必要なことは言うまでもない。現在では、どの国もそれぞれ独自の安全保障政策を持っており、現段階ではそれは当然のことと思われている。
 国の安全保障の本旨は、「敵が攻めて来たらどのようにして国を守るか」にある。このような理解は、現在のような国際情勢を前提にする限り当然であって、誰も否定することはできない。
 しかし、元来国の国際政治、外交の本旨は、「どうやって他国が攻めてこないようにするか」にあるのではなかろうか。あまり意識されていないけれども、これまた誰も否定することはできない。現代人は、ひるがえってこのことに思いを致すべきではなかろうか。
「敵が攻めて来たら」という政策は本来「敵」を想定することになるが、その場合「敵」とされた国はよい気持ちにならないだろう。その国との友好関係を困難にし、ますます「敵」に追いやってしまう傾向に陥ることになる。
 もちろん「どこの国も攻めてこない」と百パーセント断言することができないのは言うまでもない。しかし政策を考える場合に、「百パーセントではないけれども現実にはほとんど考えられない」ということを決断の基礎にすることは十分ありうることである。例えばたった70年前まで戦争を繰り返してきたドイツとフランスの現状を見れば明らかであろう。
 「どこの国も攻めてくることは現実的にはほとんど考えられない」という状態が恒常化するにつれて、戦争の危険は確実に遠ざかっていく。軍備や軍事基地も縮小が可能になってくるし、次第に国際警察力の一環というように変容していくであろう。既存の安全保障条約も、精神や性格を変えていくに違いない。
 確かにこれは理想かも知れない。しかし、もしそれが現実的でないというならば、少なくともまず東アジアにおいてそれがなぜ実現できないかを解明し、どうしたら実現できるのかを徹底的に議論すべきではないだろうか。
 このプロジェクトの究極目的は、2年後に「東アジアを戦争の無い地域にする」という全首脳の共同宣言を発することにあるが、この期間を通じて、「どこの国も攻めてくることはない」となぜ言えないのかを徹底的に究明してほしいと思う。本プロジェクトは、そのようにして、人類永遠の課題に迫るという性格を秘めている。アジア人がアジアの心を引っさげて世界に道を示すという志もある。

望ましい民意形成
 この構想は個人の発想から生まれたものであるが、すでに個人の願望をはるかに超えている。のみならず、この願望はすでに日本や日本人の域をさえ越えている。プロジェクトの目的がそれだけ普遍性を持っているからであろう。
 そのような現状を知るにつけ、この運動を東アジアの長老全体、ひいてそれを支援する東アジアの民衆全体のものとするために、発案者や発案国が前面に立つことは出来るだけ避けたいと思うようになった。個人やグループがそれぞれあたかも自分が発案したかのように思って活動すれば、それは大きな力を発揮する。

「みんなの夢をみんなで叶えよう」


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